Sep 17, 2005

「きんもーっ☆」発言へのヲタの反応と、本当の敵

明治セックル維新 新政府御性文帖キモいものはキモい=ヲタを見て。

まあどう考えても「きんもーっ☆」の人はメディアリテラシが欠如していたと思うし、その点では哀れだなあと思うし、ちょうどその「きんもーっ☆」の現場にリアルタイムでいた自分としては、ムカッとくるところもある。と同時に、ヲタの多くがキモくて臭いのは自分も含めて事実だから、キモイと思われてもしょうがないよなとも思う。ただ、それを口にしてわざわざ傷付けるなよとも思うし、口にしなくても暗に避けるとか色んなとこで差別するとかそういうのは宜しくないとも思う。

また、

このような表面的なことで怒り出すバカというのは、裏を返せば、お世辞やおべんちゃらに弱い人間だとも言える。本質を見ないバカというのは、コントロール次第では実に扱いやすい人種なのだ。

(略)

アイデンティティを自己構築できないヤツ(世の中の9割以上だけど)から金をふんだくるのは、実に楽な仕事だ。なぜなら、そういうヤツはちっぽけな自尊心を傷つけられると烈火の如く怒り出す代わりに、自尊心を(ウソでもいいから)満たされると、いくらでも財布を開くからだ。実に安い自尊心である。

図らずも、リンク先のブログのコメント欄の炎上っぷり自体が、このことを示しているとも思った。

こうして集中爆撃を食らわせて一人を凹ませたところで(凹んだかどうかは知らんけど)、その様子自体がキモいわけで、そのキモさがまた新たな攻撃者を二人三人と生み出していく。どうしてこうも自ら首を絞めたがるのだろう、我々ヲタというものは。

まずいのは、たった一人をよってたかって叩き潰しているからだ。やるなら、徹底的にやるべきだ。ヲタに敵対的な者を一人残らず殲滅するのだ。発言している者だけではない、これを見て新たな攻撃者になる恐れのある者も全て殲滅するのだ。そして世の中に我々と同じヲタだけを残すのだ。それ以外の者は死滅させるのだ。そこまでしなければ完全なる勝利はあり得ない。そこまでしなければ意味がない。繰り返すが、たった一人をよってたかって叩くことそれ自体がマイナスなのだ。

そこまでやる力がないのなら、下手に集団リンチに走らず、紳士的に振る舞うのがよい。その方がナンボかマシだろう。

――と、ここまで「叩き潰そうとする行為の主体はヲタである」という前提で書いてみたが、しかしおそらく事実はそうではない。盛り上がりのほとんどを構成していたのは、そういう「本気で烈火の如く怒って義憤に燃えた人」ではなくて、むしろ、面白そうな祭りをやっているからただ飛びついただけという人達なのではないか。

だとすれば、怒りの矛先は、むしろ身内に、身内を装った卑怯者にこそ向けなくてはならないのではないか。ただ楽しむためだけに祭りに乗っかり、一人を叩き潰して、その行為の責任もキモさも全ての印象も、義憤に燃えたヲタになすりつけて、スケープゴートにする。そして彼らはまた次のスケープゴートを見つけ、我々を後ろから焚きつけ、炎上させた挙げ句に去っていくのではないのか。

我々は、プライドとも呼べないような安い見栄に固執して本当の敵を見失ってはいないか。

追記@2005.9.18

僕が本気で「ヲタを非難する奴を皆殺しにしろ」とか言ってると思ってる人がいるようなので補足しておくと、これは皮肉ですよ。徹底抗戦を望んでるような視野の狭い人に対する、あなた方の望んでいる事は実はこういう事なんですよ、それだけの覚悟があってものを言ってるんですか、という。

僕が過激なことを言うときというのは大抵皮肉です。

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