Dec 28, 2005

ユニークな人生とアイデンティティ

もし多くのアメリカ人が本当に「ユニークさ」を重視していてやたら自信たっぷりなのであるとすれば、ユニークさを重視することと自信たっぷりであることの間には関係があるのではないかと思うようになってきた。というか、自分自身がそう思うようになりつつある。

ユニークというのは、ここでは「面白い」とかそういう意味合いではなくて、「一意な」という意味ね。

これは思いつきで書いているだけだけれども、いつでも何でもユニークであることを指向する、ユニークな生き方をすることを心がけると、その生き方の足跡自体が強固なアイデンティティになり、無根拠な自信すなわち自尊心が育つのではないだろうか。

ユニークであることを指向しないということは、誰かの後追いだとか、同じ生き方を踏襲するとか、そういうことになる。他の人と同じようなルートを通るということは、そのルートの通り方の巧みさを比較することができる。順位を付けることができてしまう。「今の自分の順位が上位であること」を自分自身の拠り所にしたとしても、その順位から転落する可能性は常につきまとう。下位に転落した瞬間にアイデンティティを喪失してしまうことになる。また、常に他人と比べられ、追い越され追い抜かれる恐怖に怯え続けることになる。

ユニークな生き方というものを考えると、その恐怖から解放される。なぜならユニークな足取りというものは、誰もマネできない(しない)から誰とも比べられない。誰にも「勝てる」ことがない代わりに、「追い抜かれる」心配もない。

それ故に、ユニークな人生経験を持つ人は、無根拠な自信に満ちあふれるようになるのではないだろうか? または、自分に自信がない人は、安全で無難な選択をしがちだと思うけれども、そこで敢えて冒険的な選択をすることで、コンプレックスから解放され、自信を身に着けられるようになるのではないだろうか?

あるいは。今の自分の人生が十分にユニークであるということに気づく、もしくは、ユニークな人生であると考えるようになれば、自信を持てるようになるのではないだろうか?

僕が最近、何かとネタ人生を突き進もうとしたり、チャンスと見れば特攻したりしているのは、そのせいなのかもしれない。

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