Mar 16, 2006

説得力

これは特定個人への呼びかけや説得ではなく、ただ個人的な感情の発露、感想の覚え書きです。

他人に何かを呼びかけるのなら、説得を試みるのなら、内容は矛盾なく一貫している方がよい。変化球を投げるのであっても、本筋を揺るがすようなおかしな変化のし方はしないのがよい。と、僕は思う。

一つの発言の中にすら本筋に反するような矛盾を含んだ説得を受けるというのは、屈辱ですらあると思う。その程度で騙されるような相手だ、と軽んじられている証拠ではないかと思う。お前にはどうせ矛盾なんてわかりはしないだろうし、矛盾が分かったところでそれを活かす事なんてできやしないのだから、黙って従っておけ、と、見下されている証拠ではないかと思う。

また、そういう説得をしている人を見ると、どうにも見ていられない。そんな風に相手を軽んじているという姿は見たくない。説得力のない言葉で相手を説得しようとしている様子は、哀れにすら感じられる。尊敬していた人であるなら、なおのこと失望は禁じ得ない。

仮に主張の本筋が正しいとしても、そういう態度が、説得力を著しく減じさせる。少なくとも僕に対しては。

例えば、我が子がビデオゲームばかりしていて不安なら、その不安という感情に一貫して則って話せばよいのではないか。ゲーム脳だなんて矛盾した理屈で感情を補強しようとするから、感情にまで説得力がなくなるのではないか。

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