May 01, 2006

善人

僕は、自分の行動が、他者の僕に対する評価を変動させ得るということを知っている。例えば僕が何か「良い行い」をすると、他者の評価は「彼は良い人だ」という方向に動く可能性がある(そうならない可能性もある。ただ、「彼は悪人だ」となる可能性よりは、そちらの可能性の方が高いだろう)。ということを、僕は知っているし、そう信じている。

そう考えているが故に、僕は、無償の愛とか汚れの無い善意といったものを表明することができない。仮にその時、何も見返りを期待せずにただ善意で、あるいは自分の興味本位で、善行を為したとして、それを後から自己評価するとき、僕は、先の事を思い出して、自分の行動に「それはどうせ、他人の自分に対する評価を良い方向に動かすための偽善でしかない」という説明を付ける。

根っからの善人というのは、自分のする行動が他者の自分に対する評価を変動させ得るということを知らない・考えない・知っていても特にそれが重要だとは考えていない、思考のベクトルが「自分(の評価)」に向いていない、外向的である、そういう人なのではないだろうかと、ふと思った。

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