Sep 16, 2006

ネットって、甘えんぼさんには実に都合の良いツールだよなあ

IRCで悩み相談を持ちかけることが多い。その機会が増えるにつれて、これは自分を甘やかすツールに他ならないと思うようになってきた。こんなに自分を甘やかしていては人間が駄目になってしまう、という恐怖を感じた。

悩みを誰かに相談するとしよう。

それが恋愛のように突っ込んだ話である場合、オフラインでは普通、誰彼構わず相談を持ちかけるようなことはしないだろう。親友と呼べるような間柄の人のうち、一人か二人のごく限られた人数にだけ、相談するのではないか。同時に何人も居合わせることは物理的に不可能だから、少人数で深く話題を掘り下げるのではないだろうか。

でもオンラインでのチャットだと、同時に何十人でも参加できる。アクティブな発言者が数名だけでも、その後ろで何十人もの人が発言を読むことができる。そして発言が途絶えたら今度は今まで後ろにいた人が前に出てきて、次のアクティブな発言者になれる。

相談される側、被相談者の負担は、この2つケースでは大きく異なる。

少人数で相談を受ける場合、一対一の対決となり、被相談者にも相応の負担がかかる。相談者はそれが分かるから、一人の人にあまり頼りすぎては良くないと考えることができる。「頼りすぎ」を抑止する力が自然と働く。仮に相談者が「空気が読めない」ために抑止力が働かなくても、被相談者の側が音を上げて話を打ち切ることができる。

大人数を相手に相談する場合、被相談者の負担は圧倒的に小さくなる。チャットというツールはログによって時間に囚われない情報共有が可能であるから、仮にその瞬間全員が参加できなくても、時間をずらすことで何人もの人が入れ替わり立ち替わり議論に参加できる。被相談者は「自分に何もタスクがない、ヒマなとき」にちょっと議論に参加するだけでもよくなる。気軽に相談を受けられるようになる。

いつでも誰かに気軽に頼ることができる。この事が、相談者の他人への依存度が深まるスパイラルを助長する。

もう一つ重要なのは、被相談者が増えることによって、多種多様な「アドバイス」「結論」に触れることができるという点だ。

一人か二人を相手に相談している場合、出た結論が仮に「気に入らない結論」だとしても、これだけ深く議論したのだからそれを受け入れざるを得ない、という気になるのではないだろうか。

しかしチャットのような空間で大人数を相手に「相談」した場合、相談者は様々な意見に触れることができる。それはつまり、「気に入らない結論」から目を背けて「自分の気に入る結論」だけを選び取る余地が生まれることをも意味する。

選択できるということは、自分の好きに選べるということは、我慢する力を確実に奪う。そのため、よりわがままに、より他人に頼りまくる、最悪の人間が育つ。

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