Jan 01, 2007
げんしけんみたいになりたかったオタク
一つめのリンク先エントリの中盤で「げんしけん」という作品に対するオタクの反応を大きく4種類に分けていて、「3番目」つまり「現実のオタクライフはこんなもんじゃねえよ、とスレた視線でげんしけんを読む層」を「古参オタクに心当たりが多いんじゃないか」と分析されているけれども、僕はこれは、同じ層を指すにあたっては「古参」というよりも「既に青春が終わってしまったオタク」という言葉の方が適切なのではないだろうか、と思ってしまった。穿った見方というか一面的な見方というか素直じゃない読み方だとは我ながら思うんだけど。
青春において恋愛事と縁が無いままに貴重な時間を過ごし、いざ青春時代が終わって振り返ってみれば、そこにあったのはただひたすら内向きに何かを追い求めていた閉鎖的な行為の記憶ばかり。オタク行動には積極的でも、人とのコミュニケーションには過剰なまでに臆病だったがために、自分という枠の外との間に何も築けなかった日々。おかしいな。恋人とのコミュニケーションという外向きのベクトルによる発展的で開放的で瑞々しく鮮やかな日々を、心のどこかでは求めていたはずだったのに。
若いオタク予備軍はいい。まだこれから立て直せる。青春に再チャレンジできる。げんしけんのようになりたいと思うのもいいだろう。なれるかもしれない。青春が終わってしまったオタクはどうだ。げんしけんのようになりたいと思ってももう手遅れじゃないか。なれるはず無いじゃないか。
そういう負の感情を抱きながら、しかし、描かれるきらびやかな青春の風景自体には憧れてしまい、過去の自分をその風景にはめ込んで妄想に浸らずにはおれない、という、作品に対する歪んだ執着。それが、前述の「3番目」の人々の抱く感情の正体だったりはしないだろうか。
僕は、自分がそうでないと言いきれる自信がありません。
……と、2巻までしか読んでなくてネット上でのネタバレでその後の展開をちょっとだけ聞きかじっただけの人間が偉そうな事を書いてみるテスト。
どうでもいいけど、新年いっこめのエントリがこんな内容かよ。
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