Jun 10, 2007

巨大なラーメンと収入

「収入とは、誰をどれだけハッピーにしたかに対して支払われる対価である」という価値観は、「収入とは、年代・身分に応じて給付されるべき物である」という価値観に比べるとマイナーらしい、という話を読んで。

リンク先の人は親が自営業だったから自分がこんな奇異な価値観を持つに至ったのか? そのせいで周囲の人間に話が通じないのか? という風なことを書いておられるけれども、学校教員且つ共産党支持の親の元で育った僕自身もそういう価値観(収入は誰をどれだけハッピーにしたかに対して支払われる対価である)を持っているので、それがマイナーな価値観であると言われて「えぇぇぇぇぇぇーーーーー????」と思ってしまった。

そういう価値観を持っているから、僕は、今自分がしていることが収入になっていること自体に違和感と不安を持っている。うまいかまずいか分からないラーメンを客に出していて、客は何も言わずに店を去っていき、客とラーメンとは無関係に天からお金が降ってきて、僕はそれを糧にしている、そんな感覚がある。

いや、もちろん、僕のしたことに価値を感じてる人がいるのは分かってる。ラーメンの例えで言うなら僕はまさに、ナルトを納品してる業者であるとかネギを納品してる業者であるとかに相当していて、ラーメン屋の店主が僕に対してナルト代やネギ代をくれてるんだって事は分かる。でもその店主が作ったラーメンすなわち最終成果物と、ラーメン屋の収入との間の結びつきが見えない。自分もまたラーメン屋のビジネスの一端を担っていると考えた時に、誰かをハッピーにできた実感もないし、自分のした行為と天から降ってくるお金との間の関係性もまるで見えない。

実感や、自分のしたことがどれだけの金に値することかハッキリ把握していれば、ただ働きさせられた(無銭飲食された)時に「オイオイそりゃ違うだろ、あんたは俺に対価を払うべきだろ」と自信を持っているだろう。でもそういう自信を持てないから、今の僕は、収入が突然ゼロになってしまっても「そりゃおかしいよ」と強く言えそうにはなくて、いつそうなるかと怯えてる。

ていうか素直に考えたら、「収入とは、年代・身分に応じて給付されるべき物である」という風な考え方の方が、それに比べるとずっと共産主義的というか社会主義的というか、そういう気がするんだけど。もしほんとにそういう価値観の方がメジャーであるなら、「日本は実質的には社会主義国家みたいなもんだ」と言う言説が真実であるということをより強く裏付ける一つの要素と言えると思う。

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