Aug 17, 2008

激しくDISられた時は「この人は視野狭窄に陥っているオタクなんだ」と思うと辛くなくなる、というライフハック

lovalottaさん、哀さんに言われた事を自分なりに解釈して思ったこと。

二人曰く、「普通の人」は「異なる価値観」に触れた時、「それは変じゃない? こっちの方がいいんじゃない?」という風な事を言われた時に「へえ、そういう考えもあるのか」と思うだけで、「自分を否定された気分」には特にはならないのだ、という。逆に、一つの事にのめり込み他の価値観とのすり合わせを積極的には行わない傾向がある「オタクの人」は、「へえ、そういう考え方もあるのか」という風に柔らかく考える事ができず、「何だこいつ、俺の考えを否定するのか。俺が信じている世界の真理を否定するというのか。こいつはそんな考えが絶対的に正しいと考えているのか。」という風に堅く考えて、苛烈にDISってくるのだという。

自分が今まで、「絵柄が古臭い」とか「オタクキモイ」とか「W3C信者」とか色々DISられて物凄く落ち込んでいたのは、もちろん自分が前述のように相手の言葉を真剣に字面通りに捉える「オタクの人」だからという事もあるだろうけれども、それよりも最も僕にとって辛かったのは、それが「普通の人」から発せられた言葉だからという風に感じていた事だった。「普通の人」、つまり圧倒的マジョリティからDISられたのだから、マイノリティである「オタクの人」の自分は全存在を否定されたに等しい。この世界から弾き出され追い出されてしまう。そんな恐怖を感じていた。だから、ムキになって理の通らない反論をしたり、あるいは、過剰に迎合しようとしていた。そんな風に思う。

でも、こう考える事もできるという事に、冒頭の話を自分なりに解釈して思い至った。すなわち、「自分の事を苛烈にDISってくる人間は、『普通の人』ではなく『オタクの人』である。だから落ち込んだり気に病んだりする必要はない。」ということだ。

「普通の人」と「オタクの人」という言い方がまずければ、こう言い換えてもいい。「視野が広くて公正な視点で慎重に物を考えられる人」と、「視野が狭く自分の考えこそが全世界全人類にとって正しいとすぐに結論づけて思い込んでしまう人」と。いずれにしても、「正しい判断」ができる人ならむやみやたらに細かい事に苛烈なDISを行うことはなく、そういう事をする人は(少なくともその件については)それなりのレベルでの判断と思考しかできていない・していないのだから、その発言内容なんてどうせアテにならない。……という理屈。

これ自体もまたそういう意味では「オタクの人」的な「レッテル貼り」でしかないのかもしれないけれども、そうする事で自分の精神が安定し幸せにやれるのなら、それでもいいんじゃないか、と。そういう事を思った。

追記。半年前にも同じような事を書いていたという事に後から気がついた。「全然変わってないじゃないか」という風に考える前に無理矢理にでも違いを見いだしてみると、この時は口先では「自分がレッテルを貼られてもいい」と書いていても内心では「しかしそのレッテルは不当な物で、自分は本来レッテルを貼られるべき人間ではない。自分は自称毒舌のような事は実際にはしない。」という風に思っていた。けれども今回は、まず最初に自分自身がいくつかの物事に唯一の「正解」「真理」「普遍」を求める性質を持っている・そうじゃない物を「間違っている」「悪だ」「改善されるべきだ」と考える人間である事を認識して、その上で、自分も含めて同様の性質を持っている人すべての言う事(のうちいくつか)ついて、考慮に値しないものと考えるとよいらしい、という風に思った。このように、自分自身が切り捨てられる対象になるべき存在なのだと「反省」した事が、違いなのではないかと自分では考えている。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能