Oct 06, 2008

絵を描くことへのスタンスの変化

Jinkunさんに言われたこと。

僕は、JNK Worldに顔を出していた10年前くらいが一番たくさん絵を描いていた時期だと思う。今では、年に2回、コミケに合わせてもえじら組の活動をやってるくらいだ。当時色々と偉そうなことを言ったりしたりしていた僕が、今そんな体たらくであることを知ったら、Jinkunさんも川家さんも僕を軽蔑するんじゃないか。そんな風に思っていた。

でも、Jinkunさん曰く、今の僕の方が楽しそうだという。

そういう風に言われたことの理由は、多分、絵を描くことに対する意識の変化があるんだろうと思う。

当時の僕は「これしかない」と思っていた。絵を描くこと以外で、世界に確かに自分が生きたという足跡は残せないと思っていた。だから自分で色々縛っていた。右向きの顔を反転無しで描けなくてはならない。エロに頼ってアクセス数や販売部数を稼ぐのではなく、絵の質や世界観やそういったもので支持を得なくてはならない。誰からも認められる物を目指さなければならない。高尚でなければならない。そんな風な拘りがたくさんあった。今から思えば、下らない拘りばかりにも思えるけれども、当時は、真面目に拘っていた。

でも、興味の中心がWeb標準とかWeb技術とかに移ってしまって以降、絵を描くことに対して割く時間が減ってしまった。いや、もしかしたらそれは逆で、自分より下の世代で自分よりずっと情熱がありずっと絵が上手い人達がどんどん出てくるのを見て、「もう敵わない」と悟ってしまい、絵の世界から逃げてしまっただけなのかもしれない。

転機になったのは、もえじら組の活動だったと思う。

哀さんの勧めでIRCNetの#汚れの巣や#順列都市に常駐するようになり、いつかの「CSSコミュニティ」の人達と気軽に連絡を取れるようになり、Junさんとinugamixさんの結婚があり、inugamixさんのふぉくす子がその界隈である種のアイドルとなり(良い子はW3C子の事には触れちゃダメ!)、界隈内外のいろんな人がふぉくす子の絵を発表するようになり、ここは誰かが音頭を取って同人誌でも一発作るべきなんじゃね?という空気になって、コミケ出展経験があり自分で絵も描いており一番時間的に余裕があった僕が首謀者となって、成り行きでプロジェクトが始まって。ネトランがふぉくす子をフィギュア化し、気合いの入ったコスプレ衣装まで制作されて、祭りの空気はどんどん盛り上がり。僕は物凄く久しぶりに、ファン活動として絵を描くことの楽しさというものを感じていたのだと思う。

触れちゃダメ、と書いたけどやっぱり触れる。W3C子での失敗はやはり大きかったと思う。ビジュアルイメージが無かったものにビジュアルイメージを付ける、キャラクターをデザインする、という事における「敗北」。僕のやり方が色々まずかったのだと思うけれども、僕がビジュアル化したW3C子は僕のせいで死んでしまい、inugamixさんがビジュアル化したふぉくす子はいろんな人に愛された。その時悟った。僕には、広がりを生み出すオリジンを作ることはできない。そういう才能がない。だから、誰かが作ったオリジンにぶら下がって、それをネタにして楽しむことしかできない。僕は無力だ。僕にはそもそも無理な事だったのだ。いいかげん、身の程を知り、分をわきまえるべきだ。

それからは、気負いがだいぶなくなった、と思う。下手でもいい、上達してなくてもいい、絵柄が古くてもいい。下品でもエロでも全然構わない。好きなキャラを好きなように描いて、同じようなことをしている人達の祭りに参加し、祭りの空気を楽しむ。自己表現のための・自己顕示欲を満たすための手段、生贄としてではなく、それ自体が目的である、絵を描くこと・漫画を描くこと・そしてそれを発表することの、そのものの楽しさ。そういうことを今は感じられているんじゃないか、と思う。

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