May 18, 2009

修学旅行の中止という話からの連想

痛いニュース(ノ∀`):「絶対うそやー」「いややっ」 修学旅行当日 駅で中止を告げられ生徒ら呆然

→かわいそうだけど中止になった物はもう中止のままなんだろうなあ。運が悪かった、と諦めるしかないよなあ。誰も補填なんかしてくれないし、補填する義務も誰にもないし。

→「なんで自分(ら)だけこんな目にあわんならんねん!!」という感情を抱いたとしても、飲み込まないといけないよなあ。「なんであいつら(パンデミックが起こる前に修学旅行を終えた人達)はええねん!!」と嫉妬したとしても、飲み込まないといけないよなあ。

→「自分(ら)もあいつらと同じくらいの楽しい・幸せな体験をする権利があるはずや!」なんて、思い上がりもいいとこだよなあ。そんな「権利」なんてどこにも誰にもない。彼らを楽しませなくてはならない・幸せにしなくてはならないという「義務」を負っている人はどこにもいない。

→そうなんだよ。僕だって幸せになる権利なんか無いんだよなあ。誰も僕を幸せにする義務なんかないんだよなあ。

→学生時代の時間がたくさんあった時に恋愛したかったのに恋愛できなかった(素質も能力も無かった)、元彼女と付き合っていた間も恋人らしいイベントはほとんど無かった。若い頃に恋愛を謳歌していた人達が妬ましい。でもそれはとんだ思い違いなんだよなあ。

→権利はなくても機会はあったはずなんだよなあ。その機会を自らドブに捨てたのは他ならない自分自身なんだよなあ。絵だのHTMLだのCSSだのMozillaだのばかりに時間を割いて、モテ活動に一切時間を割かなかった、自分のせいなんだよなあ。

→これで強毒化した新型インフルエンザにやられて死んだら、満たされることなく死ぬって事なんだよなあ。でもそれも運なんだよなあ。

→むなしい……

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能