Aug 01, 2021

VTuberの配信に平成のテレビ番組を見た

最近になってVTuber「兎田ぺこら」配信アーカイブ視聴にはまってる、それはどうやら自分がそこに、平成期のバラエティ番組の体当たりノリを感じているからのようだ、という話。

VTuberとの距離感

以前からYouTuberもVTuberも認識はしてたんだけど、10分前後の長さに編集された企画動画のノリの合わなさや、美少女アバターな配信と近接している地下アイドル関係ビジネスそのものに持つネガティブなイメージから、ずいぶん長いこと、半分無意識的・半分意図的に距離を取ってた。やれ迷惑系YouTuberが逮捕されただの、やれ運営の都合でVTuberの「中の人」が増やされただの、やれ中国向け配信で台湾問題に触れて炎上しただのと、マスメディアを通じて間接的に入ってくるのはもっぱらネガティブなニュースだったし。

ただ、その一方で、YouTuberやVTuberをテーマにしたマンガ増えてきたり、知ってるITエンジニアがいつの間にかバ美肉してたり、自分も筋トレやヨガのトレーナーのYouTuberの動画を実用目的で見る機会ができたり(動画に合わせて筋トレをやる、みたいなジャンルがあると妻に教わった)、あるいは、Twitterのタイムライン上にVTuberを描いたイラストが度々流れてきたりして、自分の生活にも少しずつYouTuberやVTuberの存在は侵入してきていた。

僕がVTuber「兎田ぺこら」を認識したのは、そういうイラストを通じてだった。白を基調としつつ暖色の差し色もあるという、カラフルでファンシーな衣装デザインでありながら、実はコートの下は黒タイツのバニーガール(バニーガールというと正統派デザインは網タイツだけど、僕はこの組み合わせの方が好き)、というギャップが良くて、純粋にキャラクターデザインの好みだけで、流れてくるファンアートをありがたく眺めてた。

ロケットランチャーとサングラス

そんな折、その兎田ぺこらのfigma(Web業界で最近使われてるらしいデザインツールのFigmaではなく、可動フィギュアの方)が予約開始された、という告知が流れてきた。相変わらずキャラの詳細は把握してないけど、見た目が好みだし買ってみてもいいかな、と思って商品紹介を見ていると、ロケットランチャーとサングラスが「おなじみのアイテム」扱いで付属すると書かれていて、想像のつかなさに一気に混乱した。商品をカートに入れつつ、どうせならもっとちゃんとキャラを把握しておこうと思って、付属物の背景を知るために「兎田ぺこら ロケットランチャー」で動画を検索したのが、沼に足を踏み入れた発端だった。

それで色々と動画を見ているうちに、だんだんキャラクターや周辺情報を掴めてきた。

  • 企業系VTuberを多く擁する事務所「ホロライブ」の所属として、配信メインで活動している。
  • ロケットランチャーは、ゲーム配信の中での「邪魔な鳥をまとめて殺処分しようとして、狭い屋内でロケットランチャーをぶっ放して自分も死亡」というエピソードが元らしい。

    • figmaに付属のロケットランチャーのデザインは、オリジナルソングのキービジュアルを参照している。
  • サングラスは、初配信の中で披露したラップが元らしい。

    • 2021年8月現在、歌詞がアップデートされアレンジされたバージョンが毎回の配信のオープニングになっている。
  • YouTube、Twitchなどを総合しての女性配信者の被視聴時間数世界ランキングで4位になったこともある。
  • ゲーム配信、特にMinecraft(マイクラ)の配信が多いらしい。(※後で分かったことだけど、彼女は純粋な雑談配信という物をあまりしないようで、マイクラやRPGのレベル上げのような作業があるゲームのプレイ配信が雑談配信を兼ねているみたい。)

マイクラは様々なブロックで自由な建築をできるゲームだけど、IT関係の話題が多い自分のTwitterのタイムラインでも時々名前を見かけることがあって(多人数で遊ぶにはLinuxなサーバーを立てる必要があり、それで子供が自分で頑張ってサーバーを運用する例もあるみたい)、ボンヤリした認知はあった。彼女のマイクラ配信では、「兎田建設」を名乗って建築物を作るくだりが度々あるらしい。

夏祭り

僕が彼女の配信アーカイブを見始めた6月末は、「うさ建夏祭り」という大型企画が進行中だった。マイクラのワールド内に夏祭りの会場用地を設けて、ホロメン達(ホロライブ所属のVTuberをそう呼ぶそうだ)が様々な出店やアトラクションを用意する、という企画で、タイミング的にはまさに準備の大詰めの時期だった。準備の回の配信を1つか2つ途中まで見て「へえ、マイクラってこんなこともできるのか」と感嘆し、後日「夏祭り当日」の配信アーカイブを見て、そこで一気に心を掴まれた。

準備期間中から夏祭り当日までの各参加者の配信の切り抜きまとめ (序盤は会場となる広い場所を確保するための整地作業、7分頃から会場建設、18分頃から出店建設、2時間40頃からは夏祭り当日の様子)

夏祭り当日の兎田ぺこら配信アーカイブ(本人もアトラクションを楽しみつつ、運営として駆け回っている様子を見られる)

この日は26名同時にログインしていたそうで、遅延のせいもあってグダグダ度の高い、大変わちゃわちゃした感じの内容になっている。兎田ぺこら自身もこの時点で配信活動開始から約2年が経過しており、彼女や各ホロメンの配信を追っている人にしか分からないらしいジャーゴンも飛び交っているし、かなりハイコンテキストなのは間違いない。

しかし、マイクラのことも他のホロメンのこともまったく知らないまま見ても、この夏祭りの様子は自分にとって、(マイクラの世界を覗き見る機会になったという点も含めて、)十分に楽しめるコンテンツだった。現実の世界でコロナ禍で縁遠くなってしまっていた夏祭りや花火大会といった催し物を、眺めているだけとはいえ体験できる機会を得られたのは幸運だったと思う。先述のわちゃわちゃすらも、却って現実の地域のイベントのような手作り感の現れに見えてくる。膨大な準備期間の後に本番を迎え、その締めくくりに打ち上げ花火を眺めつつ記念写真を撮るというシーンは、胸に来る物があった。

なお、後から知ったのだけど、夏祭りの配信の中で「会長」と呼ばれている「桐生ココ」は、冒頭に触れた台湾の件で話題になったVTuberのうちの1人だった。このときにはすでに6月いっぱいでの卒業が発表されており、この夏祭りは桐生ココにとって最後の大型イベントだったらしい。兎田ぺこら自身が手がけた、花火の後ろに点灯されたナイアガラ風の「THANK YOU」の文字に続けて置かれたアイコンは、「兎田建設」メンバーでもあった桐生ココのシンボルマークで、これを最後にホロライブを去る彼女へ向けたメッセージでもあったそうな。そのようなバックストーリーを知ってから見返すと、一連の配信アーカイブも、また違った見え方をしてくるかもしれない。(僕のように後から見始めた人には、各VTuberについて度々言及されるエピソードの紹介が詳しいホロライブ非公式wikiが大変ありがたかった。)

平成の残り香と、VTuberならではの特徴

これをきっかけとして視聴したマイクラ配信アーカイブには、いろいろな意味で、自分が青春を過ごした1990年代~2000年代頃に見ていた体当たり系バラエティ番組を想起させられた。

様々な物作りは「鉄腕!DASH!!」を彷彿とさせるのは言わずもがな、オリジナル楽曲やコラボ楽曲(先日「世界の果てまでイッテQ!」で流れたというカレーメシのCMはホロメンが多数出演しており、使われた曲を歌ったユニットには兎田ぺこらも所属している)は「ウリナリ」のポケットビスケッツやブラックビスケッツを、言葉の壁があるメンバーとのやりとりはケディ(ブラックビスケッツの途中加入メンバー。日本語をほぼ話せなかった)を思い起こさせる。ひたすら地味な仕込み・準備の部分そのものがコンテンツとなる様子には、同番組の社交ダンス部やドーバー海峡横断部といった企画のイメージが重なる。

VTuberは最初から実体を持たず、2次元のビジュアルデザインを唯一の外観として認知されるキャラクターである分、マイクラの画面内で各キャラと同一デザインのテクスチャをまとったプレイヤーキャラクターの姿は、「テレビの芸能人が操作するキャラ」よりもずっと高い「そのタレント自身がゲームの世界の中で活動している」印象を、もたらしている気がする。YouTuberの企画動画について「地上波のバラエティの劣化縮小版」といった感想を寄せられているのを見たことがあるけど、VTuberのマイクラ配信に体当たりバラエティ番組に似た印象を受けつつも、「劣化縮小版」とは感じなかったのは、それが理由なのかもしれない。

枠が決まっているテレビ番組の中では、苦労や試行錯誤の様子そのものをコンテンツにしようにも、ある程度の切り取りは絶対に必要となる。また、視聴者から演者へのフィードバックも、リアルタイムには伝わらない。インターネットを介した、時間の制限が事実上ないに等しい配信という活動形態は、そういったテレビ番組という形態故の制限を超えてコンテンツの価値を最大限引き出すものなのかもしれない。

また、現実と大きく乖離した「設定」を立てて活動するタレントは今も昔も珍しくないけど、2次元のビジュアルのみが示されていることで、タレントの生身っぽさが薄れ、「設定」への違和感が軽減される部分もあるように思う。どう見ても日本人にしか見えない人に「ゆうこりん星」や「ちぇるちぇるらんど」から来ましたと言われると「うっわ……」と痛々しさが先に立ってしまう感覚が僕はあるけれど、VTuberについてはそこまでの忌避感を僕は感じずに済んでいる。むしろ、リアルな日常との接続性を不用意に示唆する発言があっても、そのこと自体またネタに昇華しやすい印象がある。

アイドルをファンが『推す』ことについて、「演じられているアイドル像と、生身のその人自身の人生は別物で、ファンはそのことを弁えて、慎重に前者だけを『推』すべきだ。生身のその人自身の人生を前者に縛り付けてはならない。演者の人生をコンテンツとして消費してはならない」みたいな心構えを、どこかで聞いた事がある。そういった点に意識的に気をつけないといけない程度には、放っておくと「演じられたアイドル像」と「演者」との区別を付けにくく、同一視してしまうことによるトラブルが起こりやすいのだと思う。その点、「語尾に『ぺこ』付け忘れてるぞ」等とファンからもいじられる程度には、キャラと演者の間に距離があることを嫌でも意識させられてしまう、VTuberというタレント形態には、ファン感情の過剰なヒートアップが原理的に抑制される性質があるのではないだろうか。と、僕は思っている。

懸念あるいは不安材料

ただ、3次元のアイドルとは別の意味で、VTuberには人の人生をコンテンツとして消費してしまう側面や、リスクとリターンの見合わなさがある、とも思う。

駆け出しの声優をVTuberの演者として雇う際には、正体を明かすことを禁じるのはもちろんのこと、少なくとも契約期間中は声優としての他の仕事を一切受けないよう、その時点での所属事務所を退所した上で、VTuberの運営会社と専属契約することになる、という話をどこかで聞いた。そのため演者にとっては、VTuberとして活動していた期間は、声優としての過去の実績とも将来の実績とも完全に切り離され、キャリア的には空白期間になってしまうという。声優のアイドル売りが著しい昨今において、収入的にもキャリア形成的にも大事な時期を、特定の会社にすべて売り渡してしまうことになる、ということで、その道を選んだ演者の将来を心配する意見を何度か見かけた。

顔出しの俳優であれば、例えば「のん」のように、一度は本名「能年玲奈」を芸名として活動したばかりに、移籍前の事務所にその名前の使用権を握られたままとなり、本名を業務上で名乗れなくなってしまったとしても、「この人は、あの人だ」と一意性が識別され、キャリアとしては断絶しない。しかしVTuberの場合、名前も外観も所属会社が権利を持つため、そういうわけにもいかない。

声優・俳優志望というわけでないにしても、過去や未来の実績と切り離されてしまう点は変わらない。例えば、絵が上手なことで知られるあるVTuberは、元々は商業媒体での掲載実績のある漫画家だったらしい。その人に対する「(素人にしては)プロ目線で上手い!」という賛辞は、本来であればプロ経験がある人に対して言うには大層失礼な言葉だと僕は思うけども、過去を伏せてVTuberとして活動する以上は、それでも何も文句は言えないことになる。

ファンにとっては、過去を詮索しないことが「推しのため」ということになるので、断絶が維持される方向の圧力が働きやすい。その一方で、アンチにとっては、過去をほじくり返して過去の悪い評価と接続する動機が、依然としてある。結果的に、演者にとっては「VTuberをしている間の活動は一切自分のキャリアにならないわりに、トラブルのリスクだけはある」というキツイ状態が生じてしまう。

そもそも、配信の経験がキャリアの積み上げになるのかどうか。例えばゲーム配信なら、プロゲーマーのように「魅せるプレイ」の技術を磨けば、プロゲーマーとしてのキャリアに繋がる事もあるかも知れない。けれど、下手さが人気に繋がるような配信スタイルだった場合、そういうわけにもいかないのではないか。喋りの技術にしても、一人喋りや司会的な喋りの技術と、配信者としての人気とは、必ずしも直結しないのではないか。趣味でなくフルタイムの仕事としてやっている場合、下手をしたら、VTuber活動は「単に時間を金に換えるだけの使い捨て労働」という事になってしまいかねないのではないか。

(2021年9月10日追記。当初こう書いていたけれど、その後さらに色々見ていった結果、例えば「配信で間を持たせる喋り」というものも、これはこれで個々人に固有のスキルのようだ、と認識を改めた。そういったスキルがスキルとして評価される場面を見つけられれば、キャリアとして無意味にはならないのかもしれない。)

 

また、それとは別の話で、僕はVTuberの配信に平成のテレビのコンテンツに似た魅力を感じていると述べたけれど、同時に、平成(から今に至るまで)のテレビに似た倫理的問題も感じる部分がある。例えば、(キャラデザ上の)胸のサイズの大小をイジリあうとか、セクハラを迫るタイプの笑いとか。これは、「中の人」「運営」「ファン」に、身体的特徴やハラスメント行為、他者のマイノリティ性を笑いのネタにする事が当然というテレビ的価値観の洗礼を受けて育った世代が多いことの顕れなのか、それとも、放送倫理的な物を維持する体制が配信の運営サイドで未整備なのか。下手をすると、後の世代に引き継がない方がいい・倫理的に問題がある負の遺産が維持/再生産される場になってしまっていないか。そんな不穏さを、関連動画として挙がっていた動画を見ていて、時々感じる。

(2021年9月10日追記。そういう意味では、「キッズチャンネルだから」と度々アピールしていて、センシティブ表現には非常に気を遣っている様子が窺えるPekora Ch.の配信は、比較的安心して視聴しやすい感覚がある。)

僕は「価値観をアップデートせよ」といった思考停止を迫る言い方は嫌いだけれど、どういった表現の何にどんな問題があるのかを認識する必要はあると思っていて、それには配信に関わる組織全体で取り組んで欲しくて、問題が起こったときに配信者個人だけが切り捨てられてしまうようなことはあって欲しくない。

ちょっと検索して出てきた情報だけ見た感じでは、ホロライブ運営のカバーも、にじさんじ運営のANYCOLORも、企業としての出自はITやWeb業界寄りベンチャーらしい。芸能業界の闇と縁遠いのなら、それに越したことはないけど、他方、テック企業は人の人生に関わる事の責任にびっくりするくらい無関心・無自覚だったりもするので、「人」そのものを商材にするうえでそこが問題になったりはしないだろうか?と、僕はつい不安に思ってしまう。

 

……というようなことをブツクサ言いながらVTuberの配信を視聴するのは、風俗店でやることやった上で風俗嬢に説教をたれるおっさんと同じ構図すぎる、と自分でも思う。また、もしかしたら僕の価値観では認識できていないだけで、実際には市場価値のあるスキルが、VTuber活動の中で「中の人」自身に蓄積されているのかも知れない。とりあえず僕としては、彼ら彼女らの手元に十分な収入なりスキルなりが残っていて欲しいと願うばかりだ。

 

VTuberの配信アーカイブの沼にズブズブとはまり、そんな風なことを改めて考える契機になった兎田ぺこらのfigmaの受注予約期限は、8月4日までだそうです。最近のこの種のフィギュアは、再生産があまり期待できず、初回出荷時に手に入れられなければもう手に入らない事がほとんどらしい。買い占めおよび転売による価格のつり上げを心配しなくても済む受注生産品なので、いずれ欲しくなったときに後悔したくない人は、今のうちに注文しておくのがお薦めです。という話でした。

エントリを編集します。

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