Mar 29, 2007

天才あるいは初心者だった頃の自分を思い出せなくなってしまった人が言いそうな言葉

論理的思考の放棄というエントリで、一日に少なくとも3000行、多い時は1万行を超える莫大な量のコードを書きまくっていることで有名なSoftEtherの登大遊氏が、「どうしたらそんなにコードを書けるの」と不思議がる人達に向けて、ご自身のコード書きのプロセスを紹介して下さっている。

要するに「一日数千行のコードを書くなんて別に大したことじゃないよ。考えずにコードを書けばいいんだよ。ほら君もやってごらん、すぐできるよ。(大意)」という話だったんだけど、これを見て、ああ典型的な天才だなあこの人は、と思った。いやまあ典型を語れる程天才な人達に数多く接してきたわけじゃあないけど。少なくとも、四苦八苦で試行錯誤した経験が無い人、そういう経験を積んでいた頃の事を忘れてしまった人が、いかにも言いそうな言葉だ、と思った。

登氏が言ってることってファッションで言えば「清潔感のある服装をしとけばとりあえず問題ないでしょ、それくらい簡単でしょ」って言ってるのと同じような感じだと思う。でもそれってよくよく分析してみたら、「毎日風呂に入り清潔にするのは当然のこととして、今の時代において自分の属している年齢層の人間にとって相応しいとされている流行に沿った髪型と服装を選択し、アクセサリはN個以上の特徴点を持ち光沢度がN以上のものについてはN箇所のみの着用とし、髪色はCMYKの各値がNNNNからNNNNまでの間の黒又はブラウンで(以下略)」という風な、いっこでもそこから外れたら絶対にアウトという厳密な条件が実は無数に存在しているんじゃないか、と僕は思っている。その無数の条件を判別することが日常と化しているから、「ファッションセンスのある人」は無意識にそれらの条件を軽々とクリアすることができるんじゃないだろうか、と思う。

そういう感じで登氏が言ってることも、一般人向けに翻訳すれば、結局は、無数の「こういう場合はこういうコードを書くべし」「こういうコードは書くべからず」というルールの集積になるんじゃあないだろうか。

LLという人がアスキーアートを交えながらコメントしているけれども、まさにこの人の言うとおりなんじゃないかと思う。

こういう翻訳ができて、的確に伝えられて、それを身に着けるためのトレーニングを初心者にさせることができる、というのが、教育者としての「能力」なんだろうなあ。

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